
【言葉に心をのせる】
蓮の花は、真水や澄んだ水だと小さな花をつける。
一方、泥水の濃度が濃ければ濃いほど大輪の花を咲かせると言います。
我々人間に置き換えてみれば、
真水や澄んだ水というのは、
ぬるま湯状態や過保護状態。
一方、泥水とは、
厳しい状況や状態。
そして、そんな状況や状態に身を置くことであり、
自分の心持とも言い換えてもいいかもしれません。
筋肉に例えると分かりやすいですね。
負荷をかけずにいれば、歩くことさえままならなくなりますし、
適度な負荷をかければ、その状態を維持することは出来ますし、
より負荷をかければ、さらに隆々な状態にすることも出来ます。
自分の哲学や思想と合わないからすべてを拒絶するのでは、
今までと何も変わらない。
少し立ち止まって、
その哲学や思想の背景となっているものを
感じてみるのもいいかもしれませんね。
自分が今まで受け入れてこなかった哲学や思想の中にこそ、
より一層、自分にかけられる負荷の存在があるかもしれません。
元来、人間の心って弱いもので、
楽な方、より楽な方に流されて、
自分への負荷って避けがちです。
大方の人間って、変化を極端に嫌がります。
昨日と同じが楽ですからね。
世界に一つだけの花という歌がありましたが、
人それぞれが自分の花をどういう風に咲かせるか、
それはその人次第です。
花を咲かせる、咲かせない、
花が小さい、大きい、
花が綺麗、きれいじゃない
どんな花をどういう風に咲かせるかの自由が、
各個人それぞれに与えられています。
自由があるということは、
そこには、自分への責任も存在します。
他人が介在することなど出来ません。
あくまで、
自分が自分をどう表現したいか!
すべて自分次第です。