何処か死というものに対して、
ドライな自分が存在している。
祖父や祖母など身内の死に際してもそうだった。
人は生まれた以上、
いずれ必ず死ぬ時が来る。
家系図を眺めていると先祖には、
この世に生を受けて5日で亡くなった方もいる。
どういう状況であったかは一切わからないが。
今から100年以上も前の大正時代のことなので、
医療も充実していたわけではなかろう。
でも残念ながら、それがその人の天寿であったと。

人の死は前触れも無くやってくる。
今日出会った人と明日また会える保証は誰にも無い。
今日会った人に最善を尽くすことが出来たのだろうか?

甚だ疑問だ。

誰かの力を借りなければ生きていけないのが人だ。
情けは人の為ならず。
その時その時で最善を尽くそう。

そういえば、
私自身仮死状態で産まれてきたようだ。
帝王切開で母親のお腹から出てきたようだが、
おぎゃあー
と鳴き声をあげず、
先生が逆さまにして、
お尻を叩いたようだ。
当然記憶には無いが...。
時代が違えば、
この世に生を受けていなかったのかもしれない。

そういう意味では、
生まれながらにして、
第二の人生というか
余生を生きているのかもしれない。

何かしらの役割があって、
今を生きている。
というか、
生かされている。

自分の特長を生かし、
何かしらの世の役に立つことを行う務めが、
私に限らず、
すべての人々にある。

それを全うするべく、
日々最善を尽くして歩んでいこう。

要約

- 死生観(前提の認識)
  -
人は生まれた以上、必ず死を迎える。
家系図を見れば、誕生後まもなく亡くなった先祖もおり、時代背景(医療水準など)も含め「それが天寿だった」と受け止めている。

- 不確実性(今日が最後かもしれない現実)
  -
死は前触れなく訪れる。今日会った人と明日会える保証はない。
  -
だからこそ「今日、相手に最善を尽くせたか」を自問する必要がある。

- 人間関係と善意(生き方の軸)
  -
人は誰かの力なしには生きられない。
  -
情けは人の為ならず、という視点で、その時その時に最善を尽くす姿勢を重視する。

- 個人史(生かされている実感)
  -
自身は仮死状態で生まれた可能性があり、時代が違えば生きていなかったかもしれない。
  -
その経験から「余生を生きている」「役割があって生かされている」という感覚につながる。

- 結論(役割と実践)
  -
自分の特長を活かし、世の役に立つ務めは誰にでもある。
  -
その務めを全うするため、日々最善を尽くして歩む。

 

例え話

  今日の出会いは、
返却期限のある本を
預かることに
似ています。

いつ返すかは
自分で
決められません。

だからこそ、
借りている間に
丁寧に扱い、
読めるだけ
読み取る姿勢が
問われます。

 

#死生観 #生き方 #最善を尽くす

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