人はどうして争うのだろうか?
広辞苑で争うを調べてみると
①互いに自分の気持ちを通そうと張り合う。
➁強情を張る。抵抗する。また、否認する。
③(自分のものにしようと)頑張り競う。
④(自説を通そうと)議論する。言い合う。
⑤(時を表す語を受け)ぐずぐずできず、急を要する意を示す。
漢和中辞典で解字を調べてみると
力の入った腕を両方から引っ張り合っているさまを表す
となっている。
こうして漢字の意味や成り立ちをみてみると
例えは悪いかもしれないが、
お互いのエゴのぶつかりを表していると言えるのかもしれない。
切磋琢磨を広辞苑で調べると
玉・石などを切り磨くように、
道徳・学問に勉め励んでやまないこと。
また、仲間どうし互いに励まし合って学徳をみがくこと。
とある。
同じ人と人の関わり合いではあるが、
争うという行為の先には、
人と人の良い所が共鳴し合って新しい何かが生まれる。
ってことは全くもってなさそうだ。
それは人と人が争っている所を
第三者が見たときに、
醜さを感じるからでもあるが。
縁あって同じ時代に生を受け、
同じ時代を生きている。
お互いを高めるために。
なぜ、人は生きているのか
いや、生かされているのかを考えれば、
自己のエゴだけを剝き出しにして生きていても
そこに何も成長はない。
人はこの世界に、
人として精神的な靈性を高めるために、
色々な体験・経験をしに来ている。
すべてが、稽古場であり、
魂を磨く機会の場なのだ。
自分の考えと違うからとそれを排斥したり、
それを声を荒げて曲げようとすることは、
愚かしい行為である。
一人一人、顔や体格が違うように、
生まれ持った役割が違う。
当然価値観も違う。
価値観が違えば、
行動も違う。
であるとするならば、
それを受け入れ認めることが
その人の成長に繋がる。
なぜなら、相手は自分を映し出す鏡だから。
鏡に写った自分のイヤな所が反応し、
映し出されているだけに過ぎないのである。
それも自分自身の一部である。
エゴも愛の一部ではあるが、
それは自己愛だ。
自己だけを愛する愛である。
争うことも愛の表現方法の一つかもしれないが、
はっきり言えば、レベルの低い愛の表現方法だと言えよう。
人は愛なしには生きていけない。
であるならば、
可能な限り深く広く高くそして温かい愛を育て育みたいものだ。
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