【言葉に心をのせる】
仏の顔も三度まで。
意味としては、
どんなに温厚な人でも、
何度も無礼なことをすれば
怒り出すことのたとえ。
(故事ことわざ辞典より)
実は、こんな話しからの言葉のようです。
「温厚な人も無礼を繰り返せば怒る」という意味のことわざですが、
どこから「3」という数字が出てきたのでしょうか?
簡潔に説明すると、
仏さま(ゴータマ・シッダールタ)自身のエピソードが元となっています。
仏さまは釈迦国という小さな国の王子として誕生しました。
ある時、隣国にあるコーサラ国から
「王妃にふさわしい身分の高い女性を、コーサラ国に嫁がせて」
という要求が出されます。
しかし、
その要求を良く思わなかった釈迦国は、
身分の低い女性を「高い身分」と偽ってコーサラ国へと嫁がせました。
その後、
釈迦国から王妃になるために嫁いできた女性が、
実は身分の低い者だったと知ったコーサラ国。
怒りから釈迦国を滅ぼそうと出兵しますが、
釈迦国の王子である仏さまから説得をされ引き返します。
出兵しては引き返す行為を3回行い、
4回目の出兵では
「先に悪いことをしたのは自国だ」
と仏さまは説得を行いませんでした。
結果、
釈迦国は滅びることになり、
仏さまが3回説得を行った事から「3」という数字が使われるようになりました。
上記のエピソードでは、
3度目まで許されているため
「仏の顔も三度まで」
という表現も間違いとは言い切れません。
しかし、
現代では3度目に怒られることわざとして使われています。
引用
「仏の顔も三度まで」の意味とは?由来や類語を紹介(例文つき)
人は、
若かろうが年を取っていようが、
間違いを起こします。
でも、
そこから何を学び、
その後どう生かしていくか、
それはその人次第。
相手にとって不快になること。
相手が嫌がること。
相手の不利になること。
相手が損害を被ること。
等々
ビジネスをしていれば、
どうしても避けれれないことがあります。
それは、
相手は自分ではないので、
どんなに相手の心を忖度したとしても、
忖度しきれない事が発生します。
ただ、
ビジネス上の自己満足を他人に押し付けると
相手にとってとっても迷惑なこと、
不快なことになりがちです。
自分の会社さえよければ、
相手のことはどうでもいい。
自分たちにとって都合の良いクライアントさんであれば、
それでいい。
特に不動産をしていると
不動産管理という部分で、
建築などに明るくないということも
大家さんもおられますが、
それを良いことに、
結構エグイことを平気で行う者もいます。
残念ながら、
自分は、
仏様ほど人間が出来ていないので、
3度目を許すだけの心の度量を持ち合わせていません。
ビジネスですので、
相手を信頼し、
仕事を任せた以上、
自分にも責任があります。
なので、
その責任は自分が負います。
結果について、
後始末はしますし、
支払いもします。
ただ、
もう2度と信頼し、
依頼することはありません。
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