
何処か死というものに対して、
ドライな自分が存在している。
祖父や祖母など身内の死に際してもそうだった。
人は生まれた以上、
いずれ必ず死ぬ時が来る。
家系図を眺めていると先祖には、
この世に生を受けて5日で亡くなった方もいる。
どういう状況であったかは一切わからないが。
今から100年以上も前の大正時代のことなので、
医療も充実していたわけではなかろう。
でも残念ながら、それがその人の天寿であったと。

人の死は前触れも無くやってくる。
今日出会った人と明日また会える保証は誰にも無い。
今日会った人に最善を尽くすことが出来たのだろうか?
甚だ疑問だ。
誰かの力を借りなければ生きていけないのが人だ。
情けは人の為ならず。
その時その時で最善を尽くそう。
そういえば、
私自身仮死状態で産まれてきたようだ。
帝王切開で母親のお腹から出てきたようだが、
おぎゃあー
と鳴き声をあげず、
先生が逆さまにして、
お尻を叩いたようだ。
当然記憶には無いが...。
時代が違えば、
この世に生を受けていなかったのかもしれない。
そういう意味では、
生まれながらにして、
第二の人生というか
余生を生きているのかもしれない。
何かしらの役割があって、
今を生きている。
というか、
生かされている。
自分の特長を生かし、
何かしらの世の役に立つことを行う務めが、
私に限らず、
すべての人々にある。
それを全うするべく、
日々最善を尽くして歩んでいこう。
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